平成10年(1998年)3月で96年の歴史にピリオドをうち閉校となり、11月中に解体される黒松内町立旧熱郛(ネップ)小学校(現熱郛地区生涯学習館)校舎で、9月17日・18日の2日間、「おわかれ見学会」が開かれ、約60人が訪れた。私もそのうちの一人。
<体育館だけ残し解体されることになった木造部分の旧熱郛小校舎>
【黒松内町】
渡島半島の付け根に位置し、長万部と寿都に挟まれた人口2,600人ほどの町。「北限のブナ林」や「道の駅くろまつないtoit vert Ⅱ」で有名。
【旧熱郛小学校】
平成8年4月、私が初めて教頭として赴任した学校。全校児童数は私の息子(新1年生)を含めて6人、教員4人(校長・教頭・教諭2人)の極小規模校。平成9年度には児童が8人に増えたが、町の中心校(黒松内小)との統合が決まり閉校となった。
<閉校前に記念として撮った集合写真。前列左3人が1年生で担任は私>
「おわかれ見学会」は、町教委や町内で文化財の保護活動に取り組む「ふるさと語ろう屋」や倶知安町文化財調査委員会委員長の矢吹さんらの協力で当時の職員室や教室を再現。また、解体されずに残る体育館のステージには、卒業制作や記念文集、同校の歩みを記した年表、教具を展示し記念の沿革資料コーナーとして残し、今後も地域の方々や熱郛出身者が里帰りなどで帰郷された時の思い出の場所として見学できるとのこと。なんと有難いことか。
<学校の沿革年表や貴重な写真などが整然と掲示されている沿革資料コーナー>
<卒業制作や記念文集なども展示されている天井が高い沿革資料室(ステージ)>
9月17日には、閉校時に熱郛小学校の教諭だった佐藤先生(現在仁木中学校教頭)による『最後の授業』を開催。【今だからわかる、熱郛小学校は私にとって〇〇です。】というテーマに、集まった卒業生からは「大きな学校にはない体験ができた」「(唱歌の)ふるさとを聴くと、この校舎を思い出す」「先生たちと家族ぐるみの付き合いができた」「生きる力のもとになった学校」「勉強以外のことも学び、自分の人格を形成する基礎となった場所」などと思い思いの答えがあり、同じく今回の見学会に合わせて駆け付けた当時の中村校長先生と佐藤篤正教頭先生(筆者)と一緒に思い出話に花を咲かせた。
<閉校当時5・6年の担任だった佐藤誠二先生による『最後の授業』。町教委の教育長さんの発案によるサプライズ企画。板書には、参加者のそれぞれの熱郛小に対する想いが…>
授業の最後には、同じく当時熱郛小学校の教諭だった松田先生(現在黒松内町在住で町教委嘱託)のオルガン伴奏で懐かしの校歌を合唱。参加者が思わず涙ぐむ場面もあり、会場は感動に包まれた。
<♪朱太の流れ水清く…で、はじまる懐かしの校歌を全員で合唱。>
参加した卒業生からは「卒業以来、24年ぶりに再会できた同級生が子どもを連れて来てくれたり、当時の先生とも再会できた。懐かしい顔に会えて嬉しかった。」と、久しぶりの級友との再会を喜びながら、思い出の校舎に別れを告げた。
<授業後に撮った記念写真が、黒松内町の広報「くろまつない」11月号の表紙に掲載。町の粋な計らいに感謝・感謝>
「おわかれ見学会」後、解体工事の進捗状況が気になり、10月31日に町教委を訪ねたところ、担当の相馬さんがわざわざ現場まで案内してくれた。なんと優しいことか。
<体育館(現熱郛地区生涯学習館)を残し、木造校舎の解体作業が進む>
旧校舎にあった児童の作品や掲示物などは体育館の沿革資料コーナーに大切に保管されていた。「最後の授業」で使用した黒板がステージの壁面に固定されていたのには驚き。
<解体工事の後は、沿革資料室の整備に注力するとのこと。唯々、町教委の皆様に感謝>
11月末までには思い出一杯の木造校舎は解体されてしまいますが、体育館や校庭のクロマツ(学校のシンボルツリー)だけは残るのでいつでも閉校時にタイムスリップすることができそうです。
<樹齢推定145年のクロマツは、卒業生の健やかな成長を見守りながら、住民の憩いの場として、優しい目で地域を支え続けてくれるでしょう。>
次回は、平成8年4月にタイムスリップして、熱郛小学校で勤務した2年間を回顧してみたいと思います。
次回公開予定は、2022年12月21日(水)です